みなとみらい特集① 歴史編

「横浜みなとみらい」という言葉を聞いて、あなたはどんなイメージを持ちますか? オシャレな街、新しい街、都会的な街・・・ それぞれが色んな印象を持っていると思います。   そんなみなとみらいですが、実際はどんな街なのでしょうか。 なかなか詳しいことを知っている方は少ないと思うので、今日から何回かにわけて、みなとみらいについて書いてみたいと思います。 初回の今日は「歴史」についてです。   まず、みなとみらいとは横浜駅東口地区、中央地区、新港地区合わせて186ヘクタール(東京ドームの約40倍)からなる地域(名)であり、正式名称は「横浜みなとみらい21」と言います。 その中心は、みなとみらい駅から馬車道駅の付近ですが、大きく元町や中華街も含めて、みなとみらいと呼ぶこともあります。   もともと横浜は埋め立てを繰り返して発展してきた街ですが、実は現在のみなとみらい地区も、埋め立てを繰り返して拡張してきた再開発都市であり、昔は海だった地域です。 こうしてみると、横浜とみなとみらいの歴史は、ともに埋め立てによって発展してきた地域といえそうですね。 ここで、みなとみらいの原点を探ってみると、1965年に当時の飛鳥田一雄市長によって打ち出された「六大事業」に辿り着きます。 当時の横浜は急速な人口増加の途上にあったものの、市民の多くが東京に就業し、横浜は東京のベッドタウンとしての地位に甘んじていました。 そこで、東京に就業人口をとられることなく、一人でも多くの人に横浜市内で仕事をしてもらいたいという行政の思惑から、桜木町駅周辺に都市を作ることが計画されました。 それこそが、六大事業の中のひとつ「都心部強化事業」であり、みなとみらい計画だったのです。 結果的にこの計画は大成功となり、現在は毎年5800万人の人が訪れる一大都市へと成長しました。 普段何気なく会話に出てくる「みなとみらい」も詳しく調べてみると、こんな深い歴史があったんですね。 ぜひ今度訪れる際は、歴史に思いをはせながら歩いて下さいね(^_^)